双子のパンダの記事があるんですが・・・読解不可能なんです!

上野のパンダが亡くなって、パンダは必要、いや要らぬと物議をかもしだしていましたが、あれは結局どうなったのでしょうか?
人の噂もなんとやらですね。
さて、それで思い出したのですが、2年前に見つけた「記事」で、ずーーーっとアップできずにいたのがありまして、それをあえて今回出してみようと思います。
タイトルにもありますように、中国で珍しい?双子のパンダが生まれたようなんですが、その日本向けプレスリリース的な文章が、全く持って読解困難なのです。
でも、それがかえってオモロイような気がしますので、以下引用しますね。(原文そのまま)
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2006年の全世界での、始めてパンダの双生児が成都で誕生しました!(2006.8.8)
2006年8月6日の午後17時40分、一声一声の産声に伴って、妊娠期間が150日間で26日間食を減りの成都パンダ繁殖研究基地の7歳のパンダ“奇縁”は、やっと今年成都の第一頭のパンダ赤ちゃんを生まれました。
17分後、従業員がまだ喜びの中で浸る時、第二頭のパンダ赤ちゃんが生まれました。
ですから、今年全世界の第1組のパンダの双生児がついに成都で誕生しました。
検査によって生まれたパンダ赤ちゃんの体重は、169グラムと119グラムで、共に雄です。
現在、母子の皆無事で健康です。
従業員は毎4時間にパンダの赤ちゃんを交換して親パンダに母乳を受けられます。
観光客は監視設備を通じて“奇縁”が子供を育てる情況を見ることができます。
同時にガラスを通して、サーモスタットの中の人工で飼育されている赤ちゃんを見る事ができます。
成都パンダ繁殖研究基地にこられないお客様は、ウェブサイトの http://www.panda.org.cn/qwxm/yy/yy.htm を通して、“奇縁”は子供を養育して貴重な映像を見ることが出来ます。
伝奇的なパンダの“姉妹の花”
2胎の“ 4 人の子供”を喜んで増やした(2006.8.8)
8月6日に続いて、全世界の第一組のパンダの双子が誕生された後の24時に、体は第一組のパンダの双子の雌になる“奇縁”という双子のお姉さんの“奇珍”(注:2006年6月に上海盛大会社に確かめて養われ、“彩虹”と命名される)はまた8月7日に1対の“小さいハンサムな男”を産まれました。
これは世界上に初めてパンダの双子が24時間の内に連続的2日間にそれぞれ1対の双子を産まれたもので、奇跡といえます。
8月7日午後17時03分に、“奇珍”はお産を間近に控える陣痛を経験した後で順調に1匹のパンダの幼い子を産まれました。
17時58分に、また第2匹の幼い子を産まれました。
誕生された幼い子の体重はそれぞれ145グラムと51グラムで、皆雄です。
現在、この2匹の双子の姉妹の花、及び彼女たちが次々と生まれた4人の小さいハンサムな男は母子が平安で、健康状況が良好です。
国内外の公益事業に関心をお持ちいただく部門或は個人からの確かめて養うことを得るよう望んでおり、共にパンダと人類の間の“伝奇的な縁”に引き続いて、共に人と動物の調和がとれて共存する“美しい彩虹”を迎えよう!
“奇珍”―“彩虹”の保存書類:みんなは新しい生命が連続して到来する喜びに浸っている時、更にこの匹が伝奇的なストーリを持っていることに言及しないではなりません、また妹の“奇縁”と一緒に新しく伝奇的な“奇珍”を創造されました: 
1999年9月4日、“ 奇珍 ”の母――有名な日本滞在のパンダの“梅梅”は彼女を生まれました。
“奇珍”は“梅梅”の一番目の子供です。彼女が生まれた時、“梅梅”は母の経験をしていないかもしれなくて、意外にも、“奇珍”というこの全身真っ赤な毛が生えていないチビにびっくりさせられました。
“奇珍”の胸部のあの一塊の弱い皮膚もほとんど驚き慌てている“梅梅”に引き裂かれました。
幸いなのは豊富な経験を持ち、大胆かつ細心な飼育係が“梅梅”に傷をつかまれる危険を冒して、“奇珍”の傷を受けた体を奪い取ってきました。
また最も短い時間内で、彼女に対して手術を実施しました。
傷の程度がとても深刻なため、連続的に7針を縫って、傷口はやっと縫い合わせました。
この“7 針”の手術を記念するためにみんながその“近似音”を取ってその幼名にする“奇珍”なのです。
2006年に“奇珍”は同様に伝奇的な経歴を持つ上海盛大会社に確かめて養われ、“彩虹”と命名されています。
成都パンダ繁育研究基地
(ここまで)
やっぱり、さっぱりわかりません。(笑)

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